深大寺と聞くと真っ先にそばを連想される方が多いでしょう。寺の周辺には20軒程のそば店が軒を連ね、創業が1860年頃という老舗や松本清張が小説を執筆したお店などその歴史は深く個性豊かです。
江戸時代にはすでに「極めて絶品」と紹介されていた深大寺そば。深大寺周辺の土地が米作に向かないことから、そば粉を寺に納めていたと伝わります。深大寺そばと呼ばれ広く知れ渡ったのは、「深大寺でそばを打って客人をもてなしたこと」がきっかけのようです。
また深大寺周辺でそば栽培が盛んになった理由の一つに、水車の利用があります。豊かな湧き水を引いて水車を回し、その力で実を挽く杵を動かし、石臼を回して粉にするという一連の作業を機械が行う技術があったのです。
深大寺から歩いてすぐの深大寺水車館には明治期の水車小屋が再現保存されていて、内部の様子を見ることができます。解説員のお話しでは「先人が水車で動かす仕組みを開発したおかげでそばの生産量を増やすことができた。もしこれを人力だけでやっていたらここまで盛んにならなかったのではないか」とのことです。
土地に育ち人々の知恵で今に続く深大寺そばです。
例年3月3日と4日に、深大寺では厄除元三大師大祭が行われます。元三大師は良源という名の高僧で、一月三日に亡くなられたことからこのように呼ばれています。この両日、境内には例年約250のだるま商が店を出し、大小さまざまのだるまがお客を迎えます。
江戸時代の文献に大勢の人々が集まったと記されている市ですが、冬が終わり農作業が始まるこの季節、職を求める人や人を求める農家が集まる、出会いの場でもあったのではないでしょうか。
また、昭和10年代頃まで養蚕が盛んだったこの地域では、だるまの形が繭玉に似ているところから縁起物とされていて、そうした理由もあり賑わいを見せたのではないかという説もあるようです。
深大寺のだるま市の大きな特徴に、僧侶による目入れがあります。求めただるまに始まりを表す「阿吽」の“阿”の字を左目に、お返しするだるまには“吽”の字を右目に梵字で入れてくださいます。
「東京に春を呼ぶだるま市」とも言われるこの市と、山門脇の紅白の梅が春の到来を告げています。
写真提供:茂垣貴子
●DATA
[データ]
開催時期/毎年3月3・4日
住所/東京都調布市深大寺元町5-15-1
ホームページ/https://www.jindaiji.or.jp/
アクセス/京王線調布駅より京王バス「深大寺」「杏林大学病院」「吉祥寺駅」
「三鷹駅」行きで「深大寺小学校」下車、徒歩5分