武蔵村山市の特産物をインターネットで検索すると、村山大島紬が上位に上がってきます。
この地域はかつて、水利が悪くやせた土地であったため、農閑期には織物の原料となる綿や藍が生産されていました。江戸時代中期頃、綿織物と絹織物が合流しその後絹織物になり、1920年代に村山大島紬の生産が中心になりました。
村山大島紬は織ったものを染めたりプリントするのではなく、完成のデザインに合わせてあらかじめ糸を染めてそれを織って柄を作り出していく方法で作られます。図案を写した方眼紙に沿って柄の行数分の板を作り、この板で糸を挟み込んで染めていきます。この板を絣板と呼び、一柄に約150枚の板が必要ですが、この手法があったからこその村山大島紬と言えるのでしょう。
市内で採掘された遺跡からは、繊維を紡ぐ道具「紡錘車」が出土することから、1500年以前から織物が行われていたことが想像できます。形を変えながら発展してきた歴史のあるこの織物産業は、昭和50年に伝統的工芸品に指定されました。独特な技術を長く受け継いできた、この地域の人々の努力に頭がさがります。
例年4月29日に、武蔵村山市本町の長圓寺には鮮やかな着物の少女たちと、立派な獅子頭を抱えた男性、そしてその世話をする人々が大勢集まってきてわくわくした空気が漂います。
獅子舞の名称である「横中馬」。これは横田・中村・馬場の三地域を指します。地域は異なりますが長圓寺の檀家というつながりからこのように呼ばれ、獅子舞を継承しています。獅子舞の起源は不明ですが、保存会の資料によれば、太鼓の胴に宝暦3(1753)年の墨書があることからこの頃には行われていたようです。
長圓寺本堂で法要の後、列を整えて獅子舞が出発します。高張提灯を先頭に棒使い、天狗、ささらすり、獅子が続き、笛方の音色が行列を彩ります。馬場地区の八坂神社、横田地区の七所神社そして中村地区の熊野神社の三か所を回り、最後は長圓寺に戻って舞を奉納します。
獅子頭にはたっぷりとしたケンバと呼ばれる長い髪がついています。これは木材を薄く削り染めたもの。染めは村山大島紬の工場で行っているそうで、初夏の陽をいっぱいに受けて疫病退散を祈る獅子舞が、この地に根付いた伝統に支えられていることを感じます。
なお、令和4年は関係者で法要のみを行うとのことで、一般の見学等はできません。
写真提供:茂垣貴子
●DATA
[データ]
開催時期/毎年4月29日
※令和4年は一般見学不可
住所/東京都武蔵村山市本町3-40-1 長圓寺
ホームページ/https://www.city.musashimurayama.lg.jp/kankou/1004434/1001614.html
アクセス/JR立川駅から立川バス「箱根ヶ崎駅東口」行きで「長円寺」下車