【日野市】沖田総司が姉と手を合わせたと伝わるお地蔵さま「とんがらし地蔵」

【日野市】沖田総司が姉と手を合わせたと伝わるお地蔵さま「とんがらし地蔵」
日野駅前を通る「甲州街道」
周辺に住む人の信仰を今も集める「とんがらし地蔵」

多摩地域には、古の面影を偲ぶ名所旧跡や景勝地が数多く点在しています。

江戸時代、甲州街道(現・旧甲州街道。江戸日本橋を起点とした「五街道」のひとつ)の宿場町「日野宿」が置かれ、交通の要衝として栄えた日野市もそのひとつ。市内には、その頃の建物や寺社仏閣、豊かな収穫を誇る「多摩の米蔵」を支えた農業用水路などが今も残り、当時の雰囲気を感じることができます。

 

また、日野市は「新選組のふるさと」としても知られています。新選組副長・土方歳三、六番隊組長の井上源三郎は市内で生まれ育ち、局長・近藤勇や一番隊組長沖田総司らは、日野宿問屋(馬や人足を用意し、大名や旅人の荷物を次の宿場まで運ぶ、また幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける(飛脚業務)を行う役所)の問屋役・佐藤彦五郎(土方の義兄)が建てた道場(現・日野宿本陣の駐車場にあったとされる)に集い、共に剣術(天然理心流)に励んでいました。

そのため、市の各所には新選組ゆかりの史料や場所が現存。貴重な各種資料は、日野市立新選組のふるさと歴史館ほか、市内の資料館に保存されています。

問屋場と高札場(法度や掟書などを示した、江戸時代の掲示板)のあった、街道沿いの「市立日野図書館」

市内のいたるところを農業用水路が流れる

文政12年(1829年)、八王子千人同心・井上藤左衛門の三男として、井上源三郎が生まれた日野宿北原(現在の日野市日野本町)には、明和3年(1766年)に祀られたお地蔵さまがあります。その近くには、江戸時代初期(1600年代前半)の建立と伝えられている欣浄寺があり、また地蔵堂の隣には、お地蔵さま鎮座以前(宝暦5年・6年。1755年・1756年)の庚申塔(※)が三基置かれていることから、この一帯は古くから信仰の中心であったことがうかがえます。

 

このお地蔵さまは、「眼を患っている人が、赤唐辛子を供えてお願いをするとご利益がある」といわれています。眼病を治してくれるお地蔵さまということで、地元では「ヤンメ(やまい・病み目の転訛)地蔵」「とんがらし地蔵」と呼ばれているのだそうです。昔は囲炉裏の煙で目を痛める人が多く、地蔵堂の扉には数多くの赤唐辛子、お堂の中には、中央に穴を開けた川原石が供えられたといいます。

※庚申塔:江戸時代、農村中心に流行した庶民信仰「庚申講」に基づいて建てられた石碑、石塔。庚申講(庚申待)とは、庚申の日、人間の体内にいる「三尸(さんしの)の虫」が、その人の悪事を天帝に報告するのを防ぐため、夜を徹して飲食を共にする風習が一般的

 

250年以上にわたり、周辺住民の信仰を集める「とんがらし地蔵」

「とんがらし地蔵」の隣に建てられた三基の庚申塔と「北原本通り改修記念」の碑

お地蔵さまに供えられた大きな「とうがらし」と千羽鶴

北原を中心に、日野宿の住民から大事にされていた「とんがらし地蔵」には、少年時代の沖田総司が姉みつといっしょに手を合わせたという話が残っています。

 

天保13年(1842年)、白河藩士・沖田勝次郎の長男として生まれた総司は、幼くして両親と死別。彼の姉みつと結婚した、八王子千人同心(ルーツは武田氏の家臣。江戸時代、主に八王子地域の治安維持を目的とした、徳川幕府の家臣団)の井上林太郎が沖田家の家督を継ぎました。林太郎が井上源三郎の親戚だったことから、総司はある時期、とんがらし地蔵の近くに姉夫婦と共に住み、佐藤家の道場に通っていたといいます。

赤い帽子に、赤い前掛け。穏やかなお顔のお地蔵さまに、総司は何をお願いしたのでしょうか。

 

9歳になった総司は、天然理心流・近藤周助が開いた「試衛館道場(現在の市谷柳町25番地付近にあったといわれる)」の内弟子となり、剣術を極めるために修練の日々を過ごします。剣の才能に恵まれていた彼は、十代半ばで試衛館塾頭を務め、その腕前は周囲からも高く評価されました。少年期を過ごした日野宿へも、兄弟子である近藤らと出稽古に来たそうです。

近くの「八坂神社」に納められている「天然理心流奉納額」。沖田惣次郎(後に総司に改名)をはじめ、井上源三郎、兄の井上松五郎、嶋崎勇(後の近藤勇)の名が見える

「とんがらし地蔵」と道を挟んだところに、「誠の旗」を掲げた大きな建物があります。これは井上源三郎の生家(井上家本家)の一角に建てられた「井上源三郎資料館」で、子孫の井上雅雄氏が館長を務められています。源三郎の兄は八王子千人同心組頭の井上松五郎。なお、佐藤彦五郎に天然理心流を紹介したのは松五郎だと考えられています。

松五郎・源三郎兄弟、土方、近藤、沖田らは信頼関係で結ばれており、京(京都)に新選組が置かれた後も交流は続いていました。そのため館内には松五郎が収蔵していた、旅の記録、書状、刀剣ほか、200点を超える新選組関連、幕末の歴史的資料が展示公開されています。

 

〇主な展示物

・「文久三年御上洛御供旅記録」:文久三年(1863年)、松五郎が将軍・徳川家茂上洛の警護を務めた際の出来事を書き記した記録

・名刀「大和守源秀国」:近藤勇が京都からの土産として松五郎に寄贈した刀(※)

・囲炉裏枠:井上兄弟の生家で使用。沖田総司らと囲んでいたという

・土方歳三が松五郎に宛てた書状(※)

・天然理心流剣術免許(※)

(※)印は「新選組展2022」展示協力のため、11月末まで展示はなし

 

展示品は、当時の様子を伝える貴重なものばかり。松五郎・源三郎兄弟の軌跡を中心に、小説やドラマでは知り得ない、新選組のみならず、幕末に生きた人々の真実の姿を見て、感じることができます。

日野市内には、井上源三郎資料館と同じく、隊士や関係者のご子孫が館長を務める「佐藤彦五郎新選組資料館」「歳三の生家 土方歳三資料館(2022年11月末まで開館。その後は長期休館)」が点在。「新選組のふるさと」ならではの貴重な史料を見ることができますから、足を運んでみてはいかがでしょう。

松五郎・源三郎兄弟の生家に建てられた「井上源三郎資料館」

「井上源三郎資料館」についての説明版

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とんがらし地蔵(北原とんがらし地蔵堂)

所在地/〒191-0011 東京都日野市日野本町4丁目11 -16

URL/http://ehon.hinoshuku.com/archives/page14/test14.php

アクセス/JR中央線日野駅より徒歩約5分

 

井上源三郎資料館

所在地/〒191-0011東京都日野市日野本町4丁目11-12

URL/http://genzaburou.com/index.html

開館時間/12:00~16:00

開館日/第1・3日曜日

アクセス/JR中央線日野駅より徒歩約5分

 

2022/10/27

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