江戸時代、武蔵野には幕府の鷹場が数多くありました。その名残は国分寺のお鷹の道や小平の鷹の台などの地名に残っています。
三鷹の地名にも鷹の字がつきますが、これも鷹狩に関係があるのでしょうか。三鷹市のホームページによれば、明治時代に10カ村が合併した際、野方、世田谷、府中の3領にまたがるかつての鷹場の村々が集まったことに由来するといわれる、とのことです。鷹場であったことを示すものに、鷹場標石があります。これは、幕府の鷹場、尾張家の鷹場などの境界を示すもので、市内3か所に残っています。
その一つ野崎地区に立つ標石には「従是西北尾張殿鷹場」と刻まれていて幕府と尾張家の鷹場の境を示しています。但し移設されたもので、元々現位置であったかどうかは定かではないようです。
野崎地区は享保の頃に新田開発で村が誕生した地域です。鷹狩で訪れたお殿様を土地の人々はどのように迎え、見ていたのでしょう。
10月8日、野崎八幡社。
夜9時が近づくと、それまで閑散としていた境内に人が集まり始めます。境内にある薬師殿のお祭りで行なわれる団子まきがお目当で、盛大に撒かれる団子を拾おうと待ち構える人々でいっぱいです。
このお祭りは当日の朝、上新粉で団子を作ることから始まります。その数約7200個。気が遠くなるような数ですが、蒸して粉をまぶし、飯台に入れて笹で飾り薬師様にお供えします。
野崎に住んで布教に当たっていた尼僧がもたらしたと伝わる薬師如来。病気を平癒してくださる仏さまとして知られていますが、この野崎の薬師様はその中でも目に良いと言われ、特に地面に落ちて土がついた団子はオメダマと呼ばれて眼病に効くと伝わっているそうです。
新型コロナウイルスが蔓延してからは、ビニール袋に入れた団子を手渡しで配っています。形が変わっても1年に一度の行事を楽しみに待つ人たちがいることは嬉しい限りです。また宙を舞う団子に手を伸ばす様子を見られる日が待ち遠しいです。
写真提供:茂垣貴子
●DATA
[データ]
開催時期/毎年10月8日
住所/東京都三鷹市野崎1-23-1
ホームページ/
https://ecomuse.jp/cultural-properties/
アクセス/JR中央線武蔵境駅よりバス「野崎八幡」下車徒歩約2分