国民的コメディアンの志村けんさんが新型コロナウィルスによる肺炎で亡くなられて1年3か月。
2021年6月26日に志村けんさんの銅像が完成。東村山駅東口にて除幕式が行われ、ザ・ドリフターズのメンバー高木ブーさんや志村けんさんの兄・知之さんの参加のもと、東村山市へと寄贈されました。
この銅像プロジェクトは、東村山市と青年会議所・商工会青年部・地域の有志によって組織された実行委員会が、地元で募金活動及びクラウドファンディングで資金調達を実施。
国内外6,000名を超える支援者により、集まった総額は3,000万円を超え、銅像の設立、除幕式の実施が叶いました。
実行委員会の委員長を務めるのは、青年会議所の中野陽介さん。同市内にてバスツアーなどを手掛ける「スマイニー観光株式会社」を経営する三児のパパです。
広報も務める中野さんはこれまで多数のメディアに出演し、人気テレビ番組「アド街ック天国」では完成前の銅像についてPRを行いました。
実行委員は、35名ほど。皆さん日常はそれぞれ別々の仕事をしているため、休日や仕事以外の時間を活動に費やします。
たくさんの方々の期待に応えるため、目指したのはオリンピック聖火リレーまでに除幕式を迎えること。
クラウドファンディングが成立してから約8ヶ月という短い期間で銅像の制作だけではなく、様々な準備や雑用もこなさなければなりません。限られる時間の中、効率よくやり遂げる必要があり、チームワークの良さが不可欠となります。
銅像の作成に当たり悩んだ点が「志村さんの表情をどうするか」という点でした。
芸能活動歴も長く「バカ殿様」や「変なおじさん」、「志村園長」など様々な顔を持つ志村けんさんですが、万人に長く愛される銅像にするにあたって、あえてコミカルな面を封印し「いつもの優しい顔」になりました。
それは、兄・知之さんのご希望でもありました。
着衣については何着もご本人の私服や衣装を用意していただき、兄・知之さんがモデルを務め、イメージを撮影して検討を重ねました。最も表情としっくり合った紋付き袴を採用しました。
また、銅像制作で一番時間がかかり苦労したのが粘土で作成する原型です。
今回は2名の原型作家に依頼し、頭部と胴体部分に分けてそれぞれ作成してもらうことにより、大幅に時間を短縮することができました。
制作は日本の銅像のほとんどを作成しているという富山県高岡市にて銅像職人により鋳造されました。
銅像の大きさは、高さ184cm、幅140cm、重さ284kg。ほか、台座の重さは3tになります。
設置場所との調和を考慮し、存在感を際立たせるのにちょうどいい大きさにするため、ご本人より少し大きめのサイズとなっています。
完成した銅像は、トラックの荷台に寝かせた状態で大切に包まれて運ばれ、富山から東村山に到着しました。
銅像後方のスクリーンの志村けんさんは、全国から寄せられた約1,000枚の写真で創られたモザイクアートとなっています。
写真は、志村さんの顔・自分の顔・ペット等何でも可能で、中には、東村山市のゆるキャラ「ひがっしー」の姿もありました。
実行委員のアイデアで「支援者の皆さんと一緒に作り上げたことを形に残したい」という、想いから創られたもの。拡大してみれば、あなたの写真もきっと見つかるはずです。
式典はコロナ禍の中、混雑や人々の密集をさけるため一般に事前の公表を行わず関係者のみで執り行われました。
実行委員は会場の入り口で検温や消毒を担当。
そして式典終了後に、一般者の見学も可能となりました。
駅前ということもあり、偶然通りかかった人や聞きつけてきた人など、大勢の人であふれかえります。
事前の公表を行わずに開催したため、混乱をきたさないように、人員整理や説明を求める人への対応などに追われている姿があちこちで見られました。
中野さんは、事前の公表ができず大変心苦しく思っているとのことでしたが、「志村けんさんは、ずっとここにいます。新型ウイルスの影響が落ち着いたら皆様ぜひ会いに来てください」と、メッセージをくれました。
現在、東村山駅の発車ベルには「東村山音頭」が使われています。
多くの人に愛されたそのメロディーは、駅前で微笑み続ける志村けんさんにも届いていることでしょう。
●●●DATA
志村けんさん 銅像プロジェクト
所在地/東京都東村山市本町2丁目
URL/https://arigato-shimurakensan.net
2021/07/30