JR福生駅からバスで30分ほどにある三嶋神社。この神社が鎮座する日の出町大久野玉の内地区には獅子舞が伝わっています。「雨乞獅子」とも呼ばれ、かつては雨乞いとして奉納されており、平成2年に町の無形民俗文化財に指定されました。
各地の地名にはいろいろな由来があります。織った布を税の一つ「調」として納めたとされることから「調布」となったり、平な土地が広がっていることから「小平」と名付けられたり、と様々です。東京都北西部に位置する青梅市の「青梅」はどこから来たのでしょう。
5月、府中市のケヤキ並木が新緑の季節を迎えます。正式には「馬場大門のケヤキ並木」と言い、桜通りから甲州街道を渡り大國魂神社まで続く約500mの並木です。その起源については、源頼義・頼家が奥州征伐の途中に戦勝を祈願し、凱旋時に1000本の苗木を寄付したことや、徳川家康が江戸幕府を開いたことを祝して寄進した馬場に植樹をしたなど諸説あるようです。
高尾山薬王院で精進料理をいただけることをご存知でしょうか。仏教の伝来と時を同じく日本に入ってきたと言われる精進料理には、素材を丁寧に扱い工夫を重ねて自然からの恵みをいただく心が息づいています。
深大寺と聞くと真っ先にそばを連想される方が多いでしょう。寺の周辺には20軒程のそば店が軒を連ね、創業が1860年頃という老舗や松本清張が小説を執筆したお店などその歴史は深く個性豊かです。
獅子舞の名称である「横中馬」。これは横田・中村・馬場の三地域を指します。地域は異なりますが長圓寺の檀家というつながりからこのように呼ばれ、獅子舞を継承しています。獅子舞の起源は不明ですが、保存会の資料によれば、太鼓の胴に宝暦3(1753)年の墨書があることからこの頃には行われていたようです。
羽村の天王祭とも呼ばれるこの祭りは、八雲神社(稲荷神社に合祀)、阿蘇神社、神明神社、玉川神社が神輿や山車を出して氏子域内を巡行します。神輿や山車はどの神社のものも、長い年月を経て受け継がれている味わい深いものです。
秋分の日に行われる泣き相撲。泣く子は育つ、のことわざから神様に元気な泣き声を聞いていただき健やかな成長を祈る行事です。
竹に紙の花を飾ったバレンを繰る谷保天満宮例祭。バレンは大きな傘のように広がり、持ち手は時代絵や文字の額で飾られています。
春日神社の祭りでは二つの舞が奉納されます。どこからいつ頃伝わってきたのかなど明らかではありませんが、江戸風の奴の舞と上方風の鳳凰の舞という全国でも珍しい芸能です。
毎年11月3日、谷保天満宮では庭燎祭(おかがら火)が行なわれます。粗朶(そだ)を組んだ回りに薪を積み重ねた山を2基造り、中央には高く御幣を立てます。
新年を迎える前の11月の酉の日は「おおとり」という名前の神社の例祭で、各地の神社では縁起物の熊手を売る店が出て賑わいます。
冬至の日、小平神明宮では星祭が行われます。冬が本番となり病気にもかかりやすくなる季節であることから、新しい火を起こしてその火にあたって災いを祓い去り「一陽来復(福)」を願います。
阿豆佐味天神社は元日にだるま市が立ち地元の人たちが初詣に訪れる、地域に根差した神社です。
府中市押立地区のどんど焼きは都内最大規模と言われるもので、いつごろ始まったかは不明で、一時途絶えていた時期もありますが現在に引き継がれているようです。
1月28日、初不動大祭のこの日。高幡不動尊の境内はだるまで覆い尽くされます。例年100軒に届くかという軒数のだるま商が店を出し、起伏に富んだ境内は見上げても見下ろしてもだるまの赤しか目に入らないほどです。