各地の地名にはいろいろな由来があります。織った布を税の一つ「調」として納めたとされることから「調布」となったり、平な土地が広がっていることから「小平」と名付けられたり、と様々です。
東京都北西部に位置する青梅市の「青梅」はどこから来たのでしょう。
時代は平安時代に遡ります。関東一円を支配した平将門が下野、上野、武蔵、相模を巡った際、現在の青梅に立ち寄ったと伝えられています。
その時馬の鞭にしていた梅の枝を地面に挿して武運長久を祈願したといいます。やがて梅の枝は成長し、花をつけるようになりましたが、なぜか実は青いままで、秋になっても熟すことがありませんでした。そのことからこの梅を青梅と呼ぶようになり、この土地の名前となっていきました。
将門が残した「根付いた暁には一寺を建立せよ」との言葉から金剛寺が建立され、境内では古木ながら四方に枝を伸ばした将門の梅の若々しい青葉が風に揺れています。
JR青梅駅から徒歩3分。青梅街道沿いに位置する住吉神社の例祭が青梅大祭です。戦国時代の1513年に社殿を改修し、それを祝って氏子の5町が祭りを行ったのが始まりと言われています。
5月2日に各町内を巡行した12の山車は、翌3日、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら街道を行き来し、11の居囃子の威勢の良い囃子と相まって、青梅の町は賑やかです。
氏子5町の会所には山車人形が飾られます。神話の中や歴史上の人物の人形はいずれも江戸時代から明治初期に作られたもので、豪華な衣装が見所です。元々山車の上に飾られていましたが、電線が張られるようになってからは町内での展示になりました。
青梅大祭で最も盛り上がるのが囃子の競演です。街道沿いの何か所かで数台の山車が集まってこれでもかという程に囃子を競り合います。ひっかわせとも呼ばれるこの競演が始まると、山車の上の人たちと回りを取り囲む群衆が一つになって祭りは最高潮の時を迎えます。
歴史的建造物が残る青梅の町並みを意匠を凝らした山車が行き交う華やかな祭りです。
写真提供:茂垣貴子
●DATA
[データ]
開催時期/5月2日、3日
住所/東京都青梅市住江町12
ホームページ/
http://ometaisai.g2.xrea.com/
アクセス/JR青梅線青梅駅から徒歩3分